賃上げのメリット・デメリットと賃上げ判断の見極めポイント
円安やエネルギー価格の高騰、それにともなう物価上昇が続くなか、2024年の春季労使交渉においては、 基本給を底上げするベースアップ(ベア)と定期昇給を合わせた賃上げ率は平均で5.25%となりました。
この数値は前年と比べて1.49ポイントの上昇です。政府の後押しもあって、大手企業に限らず、中小企業においても賃上げの動きは活発化しているといえるでしょう。
しかし、エネルギー価格の上昇、円安といった影響を受けているのは個人消費者も企業も同じです。輸出を主な事業としている企業は円安傾向の継続が一部において売上上昇へと結びついたケースもあるでしょうが、多くの場合、経費上昇と直結するエネルギー価格や物価の高騰、それに加え円安は企業運営において厳しい条件となっているといえます。
こうしたなか、企業にとって賃上げをすることによるメリットももちろんありますが、経営を圧迫する要因にもなるおそれもでてきます。
今回は、賃上げをすることによって得られるメリットと、デメリットを考え、社会情勢に適した賃金を払うことを前提にしたうえで、企業が成長し続けられる適正賃金の考え方を探ってみましょう。
企業が近年、賃上げに踏み切る背景
企業にとって賃上げはどのような方法をとったとしてもリスクの大きな決断であることに変わりはありません。大きなリスクがあるにもかかわらず、近年の春闘の結果を見ると、大手企業のみならず中小企業においても賃上げに取り組む姿勢を示しています。この動きにはどういった理由があるのでしょうか。
帝国データバンクが2023年に調査した「2023年度の賃金動向に関する企業の意識調査」の結果から、その背景を探ってみると、2023年度において56.5%の企業が賃金改善を予定しており、ベースアップは過去最高になると回答しています。総人件費は平均で3.99%の増加と見込まれており、社員給与は平均で2.10%増と試算されています。
賃金改善に踏み切る企業が半数を超えた、その理由として、「労働力の定着・確保」が71.9%と最も多く、「社員の生活を支えるため」(70.1%)、「物価動向」(57.5%)となっています。 注目しておきたいのは、回答のなかで最も多かった「労働力の定着・確保」を目的としていることです。
株式会社帝国データバンクが2024年1月に調査した「人手不足に対する企業の動向調査」 によると、2023年の人手不足を要因とした倒産は260件となり過去最多を大幅に更新しました。
人手不足と感じている企業の割合をみてみると、正社員に対しては52.6%、非正社員では29.9%の企業が不足していると感じています。なかでも情報サービス業種では8割近い企業が不足しているとしています。そのほか、建設、リース・賃貸、医療・福祉・保健衛生、運輸・倉庫、金融といった業種で6割を超える企業が人材不足を実感しているという結果がでています。
こうしたことから、多くの企業で人材不足は非常に大きな課題であり、早急に解決するための手段を実施しなければならない状況にあることが伺えます。
さらに、回答のなかでも上位に示された「物価動向」は前年度回答から急増しています。つまり、日本経済全体において物価上昇が続いており、それによる社員の生活が不安定になっていることを企業も深刻に受け止めていることが伺えます。
このことからは、社員である生活者は自分の生活を支えるため、また安定した生活を確保するために、自分の能力を高く評価してもらえ、賃金の高い企業へと流動する可能性が高いと想像できます。
一方で、賃金改善の予定が「ない」と回答した企業の理由は「業績低迷」が62.2%と前年度回答と同様に最も高い回答となっています。ここから見えてくるのは、物価上昇の影響は企業においても大きな問題となっているということです。
その経済変化をたとえば、価格転嫁等へ対応できればよいのですが、すぐに対応ができないケースでは企業経営を圧迫する事態となり、賃金改善へと回す余力がなくなっていることが考えられます。
賃上げの仕組み
社会的背景や社会課題から考えると、企業においては、労働環境を魅力的に提示し、人材確保を確実に行うためには、賃上げが最も有効な手段だと考えられます。
では、どのように賃上げができるのでしょうか。賃上げの仕組みをみておきましょう。
賃上げを実施する方法としては2つが考えられます。ひとつは「定期昇給」で、もうひとつが「ベースアップ(ベア)」です。
それぞれを改めて確認しておきましょう。
定期昇給とは
定期昇給は、一定の期間で個人に対して昇給の機会が設けられている制度です。
あらかじめ決められた時期(年に1,2回)に実施されるケースが一般的です。企業が決めておいた基準、たとえば勤続年数や年齢、業務成績などを考慮して、賃上げの有無や程度が決められます。
具体的には、勤続年数が1年上がると基本給が1万円高くなるといった具合に賃上げが実施されます。この仕組みのなかで昇給額を上げることで、全体の賃上げにもつながります。
ベースアップ(ベア)とは
企業の業績に応じて、社員全員の給与を一律で挙げる仕組みをベースアップといいます。
たとえば、春季労使交渉において基本給5.25%のベースアップが決定した場合には、社員全員の基本給が5.25%上がることになります。基本給が20万円の社員なら21万500円の基本給になります。
つまり、定期昇給が社員個人の要件に基づいて賃上げされる制度であるのに対して、ベースアップ(ベア)は、企業の業績等に応じて社員全員が一律に賃上げされる仕組みなのです。
そのほかにも次のような方法もあります。
- 株式報酬 の導入
- 基本給以外の手当て支給やその増額
- 成果給の増額
株式報酬 の導入
社員が退職するまでは売却できないといった譲渡制限好きの株式を賃上げ分として支給する方法があります。株式報酬はインセンティブ報酬のひとつで、資産性が高く、将来に大きなリターンが見込めるものでもあります。ただし、企業の業績が急激に悪化する可能性がゼロではないので、社員が納得できる導入の方法を検討する必要もあります。
基本給以外の手当て支給やその増額
基本給を増額するのではなく、さまざまな手当て項目を設定し支給する、あるいは現状にある手当ての支給額を増額するなどの方法があります。手当ての項目としては、たとえば、転勤手当ての増額、自宅のテレワーク環境対応手当て支給などが考えられます。しかし、必ずしも全社員が支給対象とはならないので、対象外の社員の納得が得られない可能性もあります。
成果給の増額
営業給、研究開発給など既存の成果給を支給している場合、一定の基準以上の好業績を残した社員を対象に、成果給を増額するのも賃上げのひとつと考えられます。好業績者のモチベーションを高めるためには企業にとって大きなメリットになる一方、ベースアップのように全社員を対象とした制度ではないため、企業内の協調性や連帯意識が弱まる懸念もあります。
賃上げのメリット・デメリット
物価上昇が続くなか、社員の生活を安定させ、安心して仕事に打ち込める環境を整えるためにも、多くの企業が賃上げを実施しようとしています。さまざまな方法で賃上げを実施することは可能ですが、賃上げを実施した結果、どのようなメリットやデメリットがあるのでしょうか。
ここでは、基本給を増額する方法と、それ以外のものとを分けて賃上げのメリット・デメリットをみておきましょう。
基本給を増額する方法(定期昇給、ベースアップ)のメリット
基本給を増額する方法で賃上げを実施した場合のメリットは主に次のことが考えられます。
- 社員全員に賃上げがなされるので、モチベーションアップが期待できる
- 優れた人材の採用しやすくなる
- 離職率の低下が期待できる
社員全員に賃上げがなされるので、モチベーションアップが期待できる
社員全員の基本給が一律に引き上げられることになるので、不平等感を抱く社員がでることは少ないでしょう。またわかりやすく毎月の給与が上昇するので満足感も与えることができます。その結果、社員の働く意欲や会社に対しての愛着も強くなることが期待できます。
優れた人材の採用しやすくなる
給与が上がることで、求職者にもわかりやすいかたちで好条件を示しやすくなります。求めるスキルを所有する人材に対して、好条件を示し、確実に採用へとつなげることが期待できます。
離職率の低下が期待できる
働くための条件のひとつである給与が上がることで、同じ能力を求められるのであれば現職でキャリア継続をしよう、と考える社員は少なくありません。また社員全員が一律の給与アップに納得をして、活発に働く職場であれば、すぐに離職を考える社員は減少すると考えられます。
基本給を増額する方法(定期昇給、ベースアップ)のデメリット
基本給を増額することのデメリットとして考えられるのは次のようなことでしょう。
- 人件費が上昇するので利益が減少する
人件費が上昇するので利益が減少する
どのような賃上げ方法を選んだとしても賃上げした分の人件費は必ず上昇します。しかし、基本給を増額する方法では、全社員に一律に増額されることになるので、人件費の増加も大きくなります。
基本給を増額する以外の賃上げ方法のメリット
基本給を増額する以外で賃上げを検討した場合のメリットは次のようなことが考えられます。
- 社員のリテンションにつながりやすい
- 人件費負担が少なくてすむ
社員のリテンションにつながりやすい
たとえば、株式報酬を導入した場合なら、社員が株式資産として保有することになりますから、その価値を高めようと業務への取り組みに熱意を持つようになることが期待できます。
また手当て支給によって賃上げを行うケースであれば、業務負担に応じた手当てを設定すれば社員の納得感も得られやすいといえるでしょう。
そのほか、成果給を増額する方法であれば、業務遂行能力の優れた社員のリテンションにつながります。
人件費負担が少なくてすむ
また「株式報酬」「手当て支給」「成果給」等であれば、基本給を増額することに比べると、人件費負担も軽減できると考えられます。 基本給の増額であれば、社員全員に対して一律に賃上げとなる分、社員数分の人件費上昇を考えておく必要があります。
一方、株式報酬による賃上げをする場合は、業績に応じた費用ですみます。株価が上昇している場合は、費用が高くなりますが、業績が低迷している場合に賃上げをするのであれば、費用を抑えながら賃上げを実施できるのが利点です。
また転勤手当てやテレワーク手当てなど、独自の手当て支給を出すことで、業務対応者への賃上げを実施することが可能です。
成果給については、ある一定の基準を定めておき、業務担当者が基準を満たす成果を挙げた場合にそれに応じた成果給を支給することになります。つまり一律に支給されるものではないので、費用は基本給増額に比べると抑えることが可能です。
基本給を増額する以外の賃上げ方法のデメリット
基本給以外の支給による賃上げでは、次のようなデメリットがあります。
- 株式報酬の場合
- 成果給の場合
- 手当て支給によって賃上げをする場合
株式報酬の場合
上述したように株価に連動しますから株価が上昇しているときは、費用もそれなりに高額になります。一方で、株価が下がっているときは費用を抑えて賃上げを実施することが可能です。
しかし、支給される社員にとっては、業績に応じて報酬が増減することとなり、賃上げが実施された実感は薄くなります。
成果給の場合
好業績者に対して給与の増額が実施されることになりますから、対象とならない社員には不満が残る場合が少なくないと考えられます。こうした不満は会社への愛着、エンゲージメントにも影響を与え、離職率の増加につながるおそれもあります。
手当て支給によって賃上げをする場合
成果給の場合同様に、手当て支給によって賃上げをする場合にも、対象となる社員にとっては、賃上げとなりますが、対象者以外には不満が残ります。
賃上げからみる雇用に関する課題
賃上げ方法によって、それぞれメリット・デメリットがありますが、さらに大きく雇用構造から考えると、企業が抱えている雇用の流動性という課題が見えてきます。
賃上げをするにしても定期昇給とベースアップによって行えば、人件費の上昇が懸念されますし、一過性の賃上げに終わってしまえば、従業員のモチベーションアップや離職率低下へはつながりにくいものになります。
また、たとえば、成果給を設定しても、好業績を出せる従業員のみが満足のいく結果となり、不公平感をつのらせる従業員がでてくるかもしれません。
こうした不満は日本の企業がメンバーシップ型雇用を基本としていることが原因のひとつだと考えられます。かりに、ジョブ型雇用であれば、従業員は持てる能力やスキルに応じて給与を受け取ることになります。企業側は求めるスキルを労使ともに納得する給与で雇用契約を結ぶことになります。
もちろんジョブ型雇用が広がれば、働く側は自分の力をより高く評価してくれる企業へと流動しやすくなりますし、雇い入れ側はより適正な給与で求める人材を探すことになります。
賃上げや人材確保を考えると同時に、企業課題として、より流動性の高い雇用形態を構築することも意識する必要があるかもしれません。
賃上げをすべきかどうかの見極めポイント
では、現状の雇用形態において、賃上げをしたいと考えたとしても、将来的に維持できるかどうかを見極めておく必要があります。見極めポイントを確認しておきましょう。
原資は継続的に確保できるのか
賃上げするには原資が必要です。とくにベースアップ(ベア)の場合は、一時的な人件費上昇ではありませんので、継続的に原資が確保できるかどうかを判断しなければなりません。 原資を確保するには、ムダを省きコストカットを実現させて生産性を向上させること、売上を増加させること、賃金カーブの調整によって人件費の増加を原資の範囲内に抑えること、などが考えられます。
労働分配率は適正か
労働分配率というのは、付加価値(原材料を仕入れて企業活動の結果、付け加えた価値:利益)のなかに占める人件費の割合のことです。
次のような計算式で導き出します。
労働分配率(%)=人件費÷付加価値×100
労働分配率が高い場合は、「利益に対して人件費が多くかかっている」ことを示しています。つまり、人件費が経営を圧迫している可能性が考えられます。 逆に低い場合は「利益に対して人手が不足しており、過剰労働を強いている」可能性が高いと考えられます。この場合は、企業は人材を確保するか、労働量を減らすことを考えなくてはなりません。
労働分配率の目安として中小企業庁が示している「中小企業白書(2022年版)」 をみておきましょう。そのなかに企業規模別の労働分配率の推移が示されています。それによると、大企業においては、おおよそ57%、中小企業であれば80〜86%が目安となるといえます。
経済産業省が示している企業全体の目安 としては、主な業種で、製造業は47.7、卸売業は43.8、小売業は49.1です。
社員が実力を100%発揮し、働き続けたいと思える環境構築のために、適正額の賃金支払いをめざす
大手企業はもとより、中小企業においても賃上げに踏み切る企業は少なくありません。しかし、大切なのは適正な給与の支払いがなされていることです。もちろん給与が高い企業は魅力的に感じるのは事実ですが、働くための魅力は給与だけではありません。企業においてもむやみに賃上げをすれば良いというものでもありません。
賃上げはたしかに離職率の減少や優秀な人材確保に効果を発揮しますが、一過性で終わる可能性もあります。つまり、今回だけの賃上げ実施ではなく、企業の魅力向上に資するいくつかの方法論をセットで実施する必要があるのです。そしてそれらを確実に実施し、将来的にも安定した経営が成り立つ見通しを立てておくことが重要です。
とくに、適正に賃上げを実施するには、まず自社の財務状況を把握し、賃上げの原資となる利益は継続的に確保できるのかを知る必要があります。また利益のなかに占める人件費の割合が企業規模に応じた標準的な数値であるかどうかの確認をしてみる必要もあります。
そのうえで、社員が気持ち良く、意欲的に働ける環境を構築することを優先的に考えましょう。働き方改革、賃金の適正化、スキルアップの機会提供など、働くうえでの魅力となる要素はさまざまあります。その点も含め、社員への投資が企業存続の重要な取り組みであることを意識しておきましょう。
- 経営・組織づくり 更新日:2024/06/20
-
いま注目のテーマ
-
-
タグ
-