従業員の中長期的なキャリアプラン策定支援が企業の生存戦略となる
社会の在り方や、経済状況が大きく変動しているなか、企業と従業員の関係も大きく変わりつつあります。
今や転職やキャリアチェンジが当たり前となり、キャリア形成に意欲的な優秀な人材ほど、より良い待遇や仕事のやりがいなどを求めて働く企業を選ぶ傾向が強くなっています。
こうした人材の流動化が進んでいること、さらに少子高齢化の影響による労働人口の減少など様々な要因を受けて、優秀な人材の確保や、人材流出を防ぐための対応策が企業に求められるようになっています。
今回は、人生100年時代を前提にした中長期的キャリア戦略が、企業にどのような成果をもたらすかを考察します。経営者やHR担当者にとって、より厳しくなる人材獲得と定着に向けて、自社の状況と比較して認識を新たにする機会となれば幸いです。
「キャリア」をどのようにとらえるべきか?
そもそもキャリアとは、組織心理学者のエドガー・ヘンリー・シャイン(Edgar Henry Schein)によれば、「人の一生を通じての仕事、生涯を通じての人間の生き方、その表現の仕方」です。 かつて日本では、新卒一括採用・年功序列型処遇・ポスト可変型契約(企業側がポストを決め、異動を決めることができる仕組み)を前提とした終身雇用待遇を約束する代わりに、帰属意識やエンゲージメントを求める構造でした。そのため、「企業の求める人物像に人材が合わせる」関係を強化するために、企業主導による一律の人材開発と、囲い込み型の組織開発を行ってきた経緯があります。 あくまでも従業員のキャリアを考える主体は企業であり、従業員自身は企業が描くキャリアに身を任せた方が有利な時代であったとも言えます。
しかしながら、終身雇用が限界を迎えつつある一方で、グローバル化が進み、転職市場も活性化していくなか、従業員も自分の価値観にあった職場を求める傾向が強くなっています。また、従業員には雇用されて価値を発揮できる能力や、転職できる力を向上させる責任が求められるようになっています。
このような環境の変化や労働力不足を受けて、企業側も自社にとって優秀な人材が辞めてしまわないように、人材の能力や個性の重要性を見直す必要が出てきています。多様な従業員が能力を発揮し価値を生み出す機会や環境を提供する責任を、企業が負うようになっているのです。
人生100年時代において企業が抱えるリスク
人間の平均寿命が延び「人生100年時代」の中で生きていくためにも、個人は働き続ける必要があります。しかし、2021年度の調査によると、企業寿命の平均は、日本企業で24年前後、S&P500指数に採用されている米国企業に至っては平均で20年前後とさらに短いのです。そのような中では、企業が多様なキャリアコースを用意するだけでなく、従業員側が自らのキャリアを考え、働く場を開拓する必要があるでしょう。 企業側も、従業員を単なる労働力として捉えるよりも、成長戦略の一環として、自発的に成長する人材を通じてイノベーションを起こして企業の成長に貢献できる人材を求めるようになってきているのです。
また、今日のような環境変化の激しい時代において、企業においても新卒の若者に40年以上にわたる雇用を保障するのは、リスクとして大き過ぎるはずです。企業が40年以上の雇用を保障するなど、無責任とさえ言い換えることができるほどの不確実な時代であることを自覚する必要があります。人員のリストラクチャリングが容易でない日本社会において、企業が正社員を増やすリスクが相当大きくなっている時代であるとも言えるのです。
このように、企業は従業員のキャリアを「主導」する立場から、「支援」する立場に変わり、従業員がキャリアの主体者とならざるを得ない状況になっていることを理解する必要があるでしょう。
「キャリアパス」の提示から、「キャリアプラン」の支援へ
これまで企業は、等級制度や評価制度、賃金制度、研修制度など「キャリアパス」という形で、昇進への道筋を設計して従業員に提示してきました。しかし、今後は、従業員個人が自分自身の生き方や働き方について、将来どのようなあり方を目指すかという具体的な目標を立てる必要があります。そして、従業員が目標達成のための「キャリアプラン」を策定することを、企業がサポートする形に変化していく必要があるでしょう。
しかし、これまでキャリアを考えたことのない従業員にとっては、どのようにキャリアを描けばよいかわからないのが実態だと思います。 厚生労働省は、生涯を通じたキャリア・プランニングおよび職業能力証明の機能を担うツールとして「ジョブ・カード」の普及を推進しています。このようなツールを利用することもキャリアプランを考えるヒントになるでしょう。
「キャリアプラン」を支援するうえで企業に求められる視点
キャリアは企業と従業員どちらか一方のためのものではなく、お互いが満足して損をしないためのものであることを改めて認識する必要があります。そして、人材開発においては今後ますます以下の視点が求められていくでしょう。
- 従業員一人ひとりの能力やスキルだけでなくキャリアも含めて、中長期的視点でどのように社員主体で開発・向上させていくか
- 本人が目的意識を持って自発的に自身のキャリアを実現するためのサポート環境をいかに整えていくか
上記の視点で人材開発を考えるうえでは、従業員にとっての中長期的キャリア策定の意義を知っておくべきでしょう。ここからは、従業員にとっての中長期的なキャリア策定のメリットをお伝えしていきます。
中長期的キャリア策定の従業員側のメリット
中長期的なキャリア策定とは、ある一定の年数(通常は3~5年)以内、またはもっと先の将来を見据えた職業生活において、従業員が達成したい目標を策定することです。従業員が中長期的なキャリア目標(キャリアアップのためのマイルストーン)を持つことは、以下のような理由から重要です。
キャリア形成の方向性を定められる
企業が定めたキャリアパスで定年まで過ごすことが一般的だった時代は、企業側から期待された業務を遂行していれば、自分が意図せずとも企業が求める経験が積まれ、勤続年数や年齢などに応じて処遇だけでなくキャリアアップまでもが保証されていた側面があります。しかし、現代においては、企業が定めたキャリアパスや保証されたキャリアアップは経営方針によっていつ変更されてもおかしくありません。
自分自身のキャリアを企業に委ねて、受け身で過ごす姿勢では、企業が求める人材がいつの間にか変化していて居場所がなくなってしまうこともあり得ます。自ら主体的にキャリアプランを描き、意欲的に経験やスキルを身につけることで、予期せぬ変化にも対応できるようにすることが重要です。
中長期的なキャリア目標を設定することで、「将来的に自分がどのような職業に就きたいのか」に注意を向けることができます。日本のように「就職ではなく就社」という特殊な状況であっても、40年間企業が存続することの方が少ないと考えると、その重要性はさらに高まります。
それぞれの目標を達成するための計画を立てることができる
多くの人は、人生で少なくとも1つの野心を持っていますが、そこに到達するためのステップを構築しなければ、実現は遠のいてしまいます。中長期的な目標は、従業員が達成したいことだけでなく、それを達成するための具体的な方法を明確にするのに役立ちます。 たとえば、中長期的なキャリア目標を達成するための活動として、専門的な資格の取得、特定のスキル分野のトレーニング、特定の業界経験を積むこと、などが考えられます。
また、自分が今の仕事だけでなく、将来の仕事に何を求め、何を求めていないかを明確に理解することができれば、キャリアにおける次のステップが明確になるでしょう。報酬や肩書きなどの短期的報酬や、それ自体満足感をもたらさない要素などに振り回されずに済みますし、自分の優先順位や価値観に合わせて仕事を選ぶことができるようになります。
面接における質問のポイント
巡ってくるチャンスを検討する際には、面接で以下の3つの「P」を意識して質問してみることで、価値観の一致、モチベーション、貢献を測定しやすくなるはずです。
Purpose(価値観、カルチャー)
- 仕事上の役割や責任以外に、どのような情熱やパーパスによりチームメンバーが結束しているか
- この会社のトップパフォーマーは、どのような目標に突き動かされているのか
- この会社(組織)はどのような社会的なインパクトやカルチャーを創造しようとしているのか
People(モチベーションとインセンティブ)
- この組織において最もパフォーマンスを上げている従業員の属性、認められている多様性の範囲はどのようなものか
- この会社(組織)は、どのような方法で従業員の長期的な育成と教育に投資しているか
- この職務でのパフォーマンスについて、短期的・長期的に優先すべきものは何か
Pace(リーダーシップとビジョン)
- この会社(組織)でKPIなど重要なパフォーマンスが、いつ、どのような方法で測定され、インセンティブが与えられるのか
- 業績不振で苦労しているチームメイトに対して、経営陣などのマネジメント層はどのような対応を取っているか
- 素晴らしいパフォーマンスを上げている人材は、どのように昇進し、バーンアウト(燃え尽き症候群)に陥らないよう導かれているか
企業にとっての中長期的キャリア支援の意義
中長期的なキャリア目標は、従業員個人によって異なります。職業上の願望が目標となる場合もあれば、個人的な事情を考慮した目標となる場合もあります。 どちらにせよ、多くの人にとって、キャリアを成功させることは最重要課題です。そして、中長期的なキャリア目標を達成するためのステップとして近い将来に達成可能な短期目標を設定することは、従業員にとってはもちろん、企業にとっての成長にもつながります。
より良い従業員体験を提供し、従業員に幸せな職業生活を送ってもらうためには、従業員自身が主体的に計画を立てることと、企業がそれを支援することが必要になります。 企業が従業員の中長期的キャリア策定と実現を支援することは、次のような理由からも重要です。
- 中長期的な目標によって、コンフォートゾーン(快適な習慣に落ち着き、リスクを冒そうとしなくなる状態)の外に出て、現状維持のために避けがちな短期的な課題に取り組むようになります。従業員がこれまでの習慣にとらわれずに成長のための選択肢を取れることは、企業にとっても成長のために不可欠です。
- 目指すものがなければ、従業員の人生は単調になり、特に仕事面ではモチベーションを失いかねません。中長期的な目標は、従業員自身に目的意識と意欲を与え、ゴールに向かって進むためのモチベーションを持続させてくれます。
- 中長期的な目標を設定することで、将来のビジョンを持つことができ、短期的な成果を振り返って評価することができます。従業員が「今」に集中し、未来の自分に有益な行動をとるようになり、時間を有効に使うことができるようになることは、企業の成長にも不可欠です。
人材投資と人事戦略における変化
これまで、従業員にとっては“企業に管理される”ことが当然でしたし、企業も”従業員を管理する”ことが成長戦略の基本であり、人材マネジメントにおけるリスク管理でもありました。 日本企業においては、実務経験のない学生を新卒一括採用して社内教育を施し、勤続年数に応じて年功序列で昇給していくシステムを構築することによって、雇用の安定と引き換えに、従業員の働き方を企業の都合に合わせていました。「所属する組織での出世ルールに、従業員を従わせること」が人事戦略だったともいえます。
また、日本型の雇用は、「人に仕事を割り当てる」という特徴があります。仕事や役割を適宜柔軟に分担するために、各メンバーの勤務場所や時間、職務範囲を一義的には定めません。 しかし、労働市場の変化によって、このような従来型の人事戦略に変化が起きています。
マネジメントにおける変化
テレワークの普及や働き方の多様化が進み、上司はプロセスではなく「仕事の成果」で業績を評価せざるを得ないマネジメント環境になっています。言い換えれば、成果さえ出すことができれば毎日8時間を企業に拘束される必要はないのです。 そして、成果を評価するためには「人に仕事を割り当てる」のではなく、「仕事に人を割り当てる」必要があるのです。
人材獲得競争の激化
さらに、IT業界における人材の獲得競争は、他の業界にも大きく影響しています。日本でもDX化が叫ばれ、伝統的な産業においてもDXが生き残りの鍵となるなか、それを担う人材が不足するような環境の変化が起きています。 欧米企業では、CEOの報酬よりも高い人材の年収上限を設定したり、従業員の年収上限を今までの倍以上に引き上げないと、人材を獲得できないといった事態が起きています。そうなると、人事が各部門の要望をとりまとめ、利益を見ながら調整する、これまでの「人材管理」では対応しきれなくなっていくでしょう。 管理ではなく「人材投資」と捉えて、グローバル投資戦略としてCHROや社長が検討すべき経営マターになっているのです。
【まとめ】従業員の中長期のキャリア戦略を人事戦略に組み込む
キャリア戦略というと、従業員側の視点で語られることが多く、企業としては従業員の自律を促す方向で人事戦略を語ることが多かったと思います。 人は、中長期的な目標を持つことで、何か努力すること、目的を持つことができます。長期的な目標を設定することは、マズローの欲求段階説によれば、モチベーションを高め、成長し、充足感を得ることにつながります。
実際、パンデミックによって、私たちは仕事の仕方や付き合い方を変え、「自分にとって何が一番大切なのか」を考え直すきっかけを得ました。また、中長期的な目標をさまざまな形で再定義する機会にもなりました。いまや多くの人が、仕事における柔軟性の向上、より有意義な社会とのつながり、より良いワークライフバランスとウェルビーイングを望んでいるのではないでしょうか。
キャリアの中長期目標を達成するのはそれほど簡単なことではありませんが、自分が進もうとする目的地がわかってさえいれば、少なくともそこに至るまでにどのようなプロセスが必要か見えてくると言われています。つまり、まず最終目的地を定めて、そこからさかのぼって現在までの道程を描き、目の前のプロセスに集中して実行していくことが必要だということです。自分はどこに行きたいのか、最終目的地がまったくわからなければ、戦略的な視点で考えることはできないという論理です。
従業員のキャリアプラン策定を支援するためにできること
しかし、日々急速にビジネス環境が変わり、企業が変革を迫られていることも事実です。中長期的なキャリアプランは絶対のものではなく、定期的な見直しを前提としたものになります。 よくある従業員のキャリア開発支援としては、「仕事経験を棚卸しし、強みを見つけ、行動計画を立てる」という内容です。しかし、仕事上の経験のみを振り返ってしまった場合、企業や上司に忖度したり近視眼的なアウトプットになりがちです。
以下のアクションを意識して、より俯瞰した視点で中長期的にキャリアを捉える必要があります。
- 自分にとって説得力のある人生のパーパスを設定する
- 現時点で入手できる最大限の情報と仮説に基づいて、数ある目標の内から自分が注力すべき領域に限定した目標を打ち立てる(注力できない目標を捨てる)
- 自分のパーパスに沿った年間計画および四半期、月単位のプランを立てる
- 年、四半期もしくは月単位でこれまでの実績を職務経歴書へ追記しながら、同時に中長期的キャリアプランも更新する
- 更新された月単位のキャリアプランに基づいて、集中すべきアウトプットを出す
このように、従業員にとっては、雇用環境の大きな変化とともに、自律的にキャリアを模索する機会が増えているのです。
では、経営者や人事部門はどうでしょうか。人的資源の「管理」に留まっていないでしょうか。 社会の価値観の変化、雇用環境の変化、ITツールの増加、働き方の多様化と選択肢の増加、といったさまざまな変化が起きているなかで、人材獲得競争が過熱している状況は見逃せません。人材の「管理」だけでなく、人材への「投資」を経営戦略の一部として認識する重要性が高まっているのです。
そして、人材への投資を判断するうえで、従業員の中長期におけるキャリア動向は無視できません。企業によっては、1on1やメンタリング、タレントマネジメントといった「個々人のキャリアと日々のマネジメントをつなげる仕組み」で対応するケースもありますが、今後は管理職のマネジメントにおいてメンバーとのキャリア戦略を前提にした信頼関係の構築、傾聴、深堀り、コーチングなどのスキルが必須スキルになっていく可能性もあるでしょう。改めて、個々の従業員に対しても、変化を牽引する人材として、自身の能力・キャリアを能動的に開発することが求められていることをメッセージングすべきです。
改めて、経営層や人事部門は、「キャリア形成支援を含めた人材への投資は経営戦略の一部」として認識する必要があります。個々人の中長期のキャリア戦略を個人任せにするのではなく、社外の環境の変化を捉え、具体的な戦略立案や施策展開に移せるように企業のパーパスと個人のパーパスが重複する部分を相互に意識していきましょう。
参考
- 株式会社東京商工リサーチ
- Average company lifespan on Standard and Poor's 500 Index from 1965 to 2030, in years
- 厚生労働省: ジョブ・カード
- 労務・制度 更新日:2023/03/09
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