人材版伊藤レポ ート 2.0も提唱する成功の鍵は「経営戦略と人材戦略との連動」
「事業の成功は人材にかかっている」 世界中のCEOはそう心得ている。ところが、そのCEOたちに、社内の全職能を重要な順に並べると人事は何番目だと考えているか問うと、8番目から9番目にすぎなかった。 世界的なコンサルタントファームと民間調査機関による、そんな調査結果があります。*1:p.67
経済産業省が2022年に公表した「人材版伊藤レポ ート 2.0」で最も重要視されているのは「経営戦略と人材戦略との連動」で、CHRO(最高人事責任者)の果たす役割の重要性が指摘されています。
世界的に高名な経営戦略、人材戦略の専門家も、「CHROは経営者たれ」と説きます。
CEOはCHROを対等なパートナーと位置づけ、CFO(最高財務責任者)との3頭体制を敷き、会社の舵取りはその3者が担うべきだというのです。
興味深い事例をまじえながら、その方策を解説します。
CHROは「経営戦略と人材戦略との連動」を担う
上述の「人材版伊藤レポ ート 2.0」は「人的資本経営の実現に向けた検討会」の報告書です。*2
「人的資本経営」とは、人材を「資本」と捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のことです。
ところが、日本では人事部門を「価値提供部門」だと認識していない人が6割に上ります(図1)。*3:pp.9-10
これまで人材は「人的資源」であり、人材に投じる資金は「費用(コスト)」、人材のマネジメントは「管理」だと捉えられてきました。
しかし、人材を「人的資本」として捉え、人材のマネジメントを人材の成長を通じた「価値創造」へと転換し、人材に投じる資金はその価値創造に向けた「投資」だと捉えるのが、「人的資本経営」のあり方です。
ただ、ここに大きな課題があります。
従業員300人以上の日本企業に勤める人事部門の課長相当以上の役職者を対象にしたアンケート調査によると、人材マネジメントの課題として、「人事戦略が経営戦略に紐づいていない」と回答した人の割合が一番高く、3分の1以上に上っているのです(図2)。*3:p.11
「人材版伊藤レポ ート 2.0」はそうした考えをふまえ、「経営戦略と人材戦略との連動」を最も重要視しています。*4:p.23 そして、その責任を担うのがCHRO(Chief Human Resource Officer:最高人事責任者)なのです。
CHROの役割は経営陣の決定に沿って人事戦略を立案し実行することではありません。 自身が経営陣の一員であり、人材戦略の策定と実行を担う責任者として人事戦略を自ら起案し、CEOをはじめとする経営陣や取締役と定期的に議論するのがその役割だと、同レポートは説きます。
CEO・CFO・CHROの3頭体制(G3)
世界的に高名な経営戦略、人材戦略の専門家(著名な経営コンサルタント、ラム・チャラン氏、マッキンゼー・アンド・カンパニーの元マネージングディレクター、ドミニク・バートン氏、コーン・フェリー副会長のデニス・ケアリー氏:以降、「3氏」)は、「CHROは経営者たれ」と提唱します。*1:p.66
それはどういうことでしょうか。
3氏の著作からその知見をご紹介します。
CEOの役割
人事部門の重要度を引き上げて、CHROを自身の戦略パートナーにするうえでの障害を取り除くのはCEOの役割であると3氏はいいます。*1:p.67
そして、人事職能の地位を引き上げるには、CEO、CFO(最高財務責任者)、CHROの3頭体制(G3)を設けるべきであると述べています。
そうすれば、CHROはCEOの真のパートナーとなり、CFOに負けないほどの付加価値を産み出すというのです。
G3を設けることは、「人事部を中枢組織として位置づけ、CHROをCFOと肩を並べる要職に引き上げる」という合図を社内に送ることを意味します。*1:p.79
G3による会議
全社の舵取りはG3が担い、そのために3人だけの会議をもちます。
その事例として、保険・リスクマネジメント関連サービスを提供する世界的企業、マーシュの取り組みをみてみましょう。*1:pp.80-81, p.83
マーシュでは期待どおりの業績を達成するのに適した組織体制になっているかを見極めるためにG3会談を行いました。
その会議の冒頭で3者が行ったのは次のようなことです。
まず、ノートに縦線を引き、線の右側はCFOが担当する財務業績の、線の左側はCHROが担当する組織体制の領域としました。
次に真ん中に横線を引いて、その上部には好材料、下部には悪材料を書き入れていきました。
会議は15分くらいで終わりましたが、G3でノートを埋めていくのは大変貴重な経験だったといいます。
同社は四半期ごとに財務業績についても人的資本についても精査し、査定をしています。その上、こうした会議を開く必要はないと思われるかもしれませんが、G3の仕組みは余計な仕事を増やさずに事業の実情をあぶり出すのに役立つと、同社のCEOは述べています。
3人はそれぞれのデータをもちより、協力して1つのフリップチャート(複数枚の紙を上端で綴じ、1枚ずつめくりながら見られるようにしたボード)にまとめ、それ以降の4~8四半期の業績見通しに関連する、組織面での長所と短所を列挙しました。
すると、組織のあり方と業績の関連性が浮き彫りになり、対話によって大きな価値がもたらされたといいます。
同社のCEOは、こうしたG3会議は全体像を効率的に把握するのに適した方法だと述べています。初回の会議を終えた後には、「組織と事業の壁が取り払われ、事業を十分に掌握できている」と3者ともに納得感を抱いたということです。
G3の効果を高めるために、CEOは週に1回のペースで会合をもち、週次の状況を確認する必要があると3氏は述べています。*1:pp.84-85
3者が異なる視点から事態を眺め、見解を出し合えば、状況をより正確に把握することができます。
対面が難しければオンライン会議などでもよく、慣れれば1回15~20分程度ですむということです。
また、G3は月に2~3時間かけて、4~8四半期先までの予測を立てるべきだと3氏は述べています。 その際は以下のような問いを立てるのが有益です。
目標達成を妨げる人材関連の問題はなにか。
個人がらみの問題はあるか。
協働にかかわる問題はあるか。
他社との競争状況を把握できていない上層幹部はいるか。
退職しそうな人物はいるか。
人材畑のリーダーの育て方
人事畑のリーダーを育てることも大切です。*1:pp.87-88
CHROを取り立てるとき、「人事部長は、採用、解雇、給与、福利厚生にしか通じていない」という不安を抱えるCEOがいるかもしれません。
そうした躊躇を解消するためには、人事畑のリーダーには事業知識を、一方、事業リーダーには人事関連の知識を身につけてもらうために、新しいキャリアパスを設けることが有益だと3氏は説きます。
人事分野かどうかは関係なく、また上層部に限らず、すべてのリーダーに、人材の評価、採用、コーチングに関する厳しい訓練を受けてもらう。そして、人事分野のリーダーに就任する際には、事業分析の綿密な訓練が必要だというのです。
避けなければならないのは、人事畑のリーダーになる人が、一貫して人事畑を歩んでそのままリーダーになることです。
CHROを目指す人は、事業ラインの仕事、人材と予算の両方のマネジメントを経験するべきです。
さらに、経営トップの座をねらうリーダーは全員、人材と事業の両部門のポストを行き来するのが望ましい。人事センスのない人は経営上層部で成果を上げ続ける可能性は小さいというのが3氏の見解です。
優れたCHROはどう考えるか
最後に、1998年から2012年までネットフリックスでCHROを務め、その後コンサルタントに転身したパティ・マッコード氏の意見に耳を傾けてみましょう。*5:p.46, pp.61-62
「優れた人材管理責任者は、まずビジネスパーソン、イノベーターとして考える。人材責任者として考えるのは最後である」
と同氏は述べています。
それはどういう意味でしょうか。
同氏の考えはこうです。
従業員の士気を高めるための施策に時間を費やす人はあまりにも多い。しかし30年のキャリアを通して、従業員のやる気を実際に奮い立たせた人事施策など一度もみたことはない。
人事担当者は「チアリーダー」のように振舞うのではなく、自分はビジネスパーソンだと考えるべきだ。
会社に役立つことはなにか。それを従業員にどう伝えるか。優れた業績とはなにかを、どうやったら全社員に浸透させられるか・・・、人材担当者はまずこう考えるべきだというのです。
そうできているかを測る簡単なテストとして同氏が挙げているのは、以下のような問いです。業績連動型のボーナスを導入している会社で無作為に社員を選び、こう尋ねてみる。
「具体的に現在なにをしていれば、賞与の額が高くなるか知っていますか」
答えが返ってこなければ、人事チームは物事を十分に明確にしていないというのが同氏の考えです。
おわりに
これまでみてきたように、経営戦略と人材戦略の連動は、企業の成長と競争力を高めるために不可欠です。
そして、CEOの役割は人事部門の重要度を引き上げ、CHROを自身の戦略パートナーに位置づけ、そのことを全社的に周知することです。
また、人事畑のリーダーには事業分野での経験、事業に関する知識が欠かせません。
CHROはまずビジネスパーソンとして考え、経営を担う職責を引き受け、経営者の一員として自身の役割を全うする必要があるのです。
資料一覧
- *1出所)ラム・チャラン、ドミニク・バートン、デニス・ケアリー「CHROは経営者たれ」『ハーバード・ビジネス・レビューHR論文ベスト11 人材育成・人事の教科書 第3章』ダイヤモンド社 (2020年8月26日 電子版 )p.67,p.66, p.79, pp.80-81, p.83, pp.84-85, pp.87-88
- *2出所)経済産業省「人的資本経営~人材の価値を最大限に引き出す~」
- *3出所)経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート ~」(2020年9月)pp.9-10, p.11
- *4経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~」(2022年5月)p.23
- *5出所)パティ・マッコード「シリコンバレーを魅了したネットフリックスの人材管理」『ハーバード・ビジネス・レビューHR論文ベスト11 人材育成・人事の教科書 第3章』ダイヤモンド社 (2020年8月26日 電子版 )p.46, p.61
- 人材採用・育成 更新日:2023/09/12
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