「残業ゼロ」はやれないのか、やらないだけなのか
しかし、これらはかなり長い間言われ続けてきたため、さすがの低生産性国日本でも徐々に対応をとってきています。もちろん今でも、残っている古臭い会社もあるでしょうが、私の接しているさまざまな会社では、大会社もベンチャーもどんどん解消されているように思えます。今時、「上司が帰れないから帰れない」と言っている会社はかなり希少です(ありますが)。ビジネススキルのインプットも進んでいますし、権限委譲も進んでいます。コミュニケーションコストも、飲みニケーションなどから、もっと簡便な社内SNSなどに移っています。改善されているのです。そう考えると、長年言われてきた低生産性の理由はつまり、残業が減らない根本的な原因ではないように思えるのです。
では、根本的な原因は何か。私が多くの会社をコンサルティングする中で、働く人々の声を直に聞いて考えた仮説はシンプルです。「仕事を早く終えて、残業を減らすことに対するインセンティブがないから」ということです。これだけ世論の後押しを受け、しかも残業を減らすために効率的に仕事をすることができる手法まで用意されているのにも関わらず結果が伴わないのは、素朴に考えれば「(心の底から思っているかは別にして)残業をやりたい」「残業を減らしても、メリットがないと思っている」のではないでしょうか。
インセンティブがないものはしたくないと思うのも当然です。「残業が減って、プライベートな時間が増えることこそがインセンティブじゃないのか?」と言う方は、幸せな方かもしれません。卑近な例を挙げると、これだけ単身者が増えると、プライベートが孤独だという人は一定数います。あるいは、家族がいても家に帰りたくない人もいます。カフェやバーで時間をつぶしてから帰る人は山ほど知っています。そうなると、つい出費もかさみます。残業を減らすことにインセンティブがなければ、それなら仲間と残業していた方がいいと考える人もいるのです。
もっと言うと、インセンティブがないどころか、残業を減らすといろいろな悪いことが起こると考える人もいます。いちばんわかりやすいのは、残業代が減るということです。現在の「みなし残業時間」(固定給の中に一定の残業代を「みなし」で事前に含めておく)の設定の考え方は、性悪説をベースにしているのか、その時間が多ければ多いほど「悪」とされており、労基署などの指導もできるだけみなし残業時間を減らすようにとなってきています。みなし残業時間が多いと、「それだけ働け!」と言っているように見えるからでしょう。
ところが、実は、みなし残業時間は多ければ多いほど残業時間が少なかった人が得する制度です。働かない分ももらえる制度なわけですから。逆に、みなし残業時間を少なく設定するとどうなるか。例えば月に40時間残業すれば、みなし時間が45時間であれば追加の残業代は払われません。ところが、みなし時間が30時間であれば10時間分の残業代が払われるわけです。そうなると、残業をすることにインセンティブが働きます。デフレが続き、低賃金化の現在、昔の「生活残業」という言葉が復活してきています。残業すれば給料が増えるなら、残業したいと考える人は一定数いるでしょう。
生産性を上げて、時短を目指すことのデメリットは他にもあります。それは、せっかくがんばって短い時間で仕事を行なっても、「余裕があるならこの仕事もお願い」と次の仕事が降って来るということです。場合によっては、それが生産性の低い同僚の尻拭い的な仕事だったりもします。できる人ほど、こんな目にあっています。しかも、チームプレイ色が強く、全体の成果への個々人の貢献度があまりわからないような仕事であれば、そういう協調行動がそれほど評価されないこともあります。
そうであれば、無理をしてまで短い時間で仕事をやり遂げようとせずに、ダラダラとギリギリまで持ち時間を使い切って仕事をすればいいのではないかと考えても致し方ありません。こういう状況で「仕事の報酬は仕事だよ」と動機付けても簡単に納得はしないでしょう。
最後に、最も本質的な時短ができない原因と私が考えるのは、時短を目指すことと、人材を育成することの両立がかなり難しいということです。人材を育成する方法はいろいろありますが、教育心理学や学習心理学などでは、「どうすれば人はあるスキルのエキスパートになっていくのか」ということはかなりのことがわかってきています。
人が何かを身に付けるということは、その何かを自動化すること、無意識でもできる行動パターンや思考パターンにまですることです。そして、それは長期にわたる「反復」「繰り返し」によって生じるとされています。一定の時間をかけないと人は育たないわけです。
評論家のマルコム・グラッドウェルも『天才』という著書の中で「1万時間の法則」といって、天才と呼ばれるような超一流の人でも1万時間以上は基礎的な訓練を行なっていると主張しました。1万時間かどうかはともかく、納得感を持つ人は多いのではないでしょうか。また、山本五十六の人材育成に関する有名な句「やってみせ〜」ではありませんが、育成の初期の段階では、指導者側はダブルコストとわかっていても、仕事に同行させ、自分がやっているところをみせて、学ばせるということが必要です。これも結局は労働時間を増やすことになります。育成される側もこういうことをわかっていて、自ら長時間労働を希望するケースも少なくはありません。
以上のように、(昔はともかく)現在においては、冒頭で述べたようなスキル不足や文化特性などの理由で、時短が進まないのではなく、残業をしないインセンティブがない、むしろ残業をするインセンティブがまだ残り続けているということが、残業ゼロが夢のまた夢になってしまっている原因ではないかと思います。これを解決するためには、単純ですが、残業しないインセンティブを評価制度や報酬制度の中にきちんと作ることでしょう。
「きちんと」というのがミソです。口約束的に「効率的に仕事をした人は評価するよ」と言っていながら、結局、長時間労働で同じ業績を出した人を同じように評価していることがよくありますが、それではいけません。せめて残業代が減った分ぐらいは、上乗せして給料を払うような制度ができれば、そこで初めて残業を減らすことに本気になってよいかもと思う人も多いのではないでしょうか。
- 労務・制度 更新日:2019/01/15
-
いま注目のテーマ
-
-
タグ
-