その募集条件、本当に意味ありますか?注意すべきハロー効果とは
採用は、とにもかくにもコストがかかる。
多くの人から応募してもらうためには、相応のカネや労力を費やさなければならない。しかしお目当てではない人材からいくら応募がきても、その対処に時間を取られるだけでうれしくはない。
可能な限り多く、それでいて望ましい人材に応募してもらいたい。
となると一番手っ取り早い方法は、条件をつけることだ。
学歴、年齢、経験……条件を設定すればそれに当てはまる人が来てくれるから、選考しやすくなる。事実、求人には高確率で条件がつけられている。
でもその募集条件、本当に「仕事をするために必須」なのだろうか? くだらない条件をつけて、無意味に入口を閉ざしてしまっていないだろうか?
「大卒」という条件で、いったいどんな期待ができるのか
くだらない条件の最たるものが、「大卒」だ。
4年制大学卒業を条件にしている求人をよく見かけるが、いったいなんのためなんだろう?
わたしが住んでいるドイツにも、学歴による条件はある。しかしそれは、仕事に必要だからだ。
たとえば銀行のリスクマネージメント業務の求人では、「銀行員の職業教育を修了している者。大学で経済学、特に数理経済学を専攻していれば優遇」とある。
医療系広告会社であれば、「ジャーナリズム、広報、コミュニケーション、薬学、生物学のいずれかの学士を取得していること」。
これは、大学を卒業するためはしっかり勉強する必要があるので、学位=専門知識を修めた証になるからだ。逆にいえば、そういう条件を設けているので、入社後に基礎的なことを教えてもらえることはない。
仕事に必要な専門知識の有無を確認するための学歴指定であれば、理解できる。
しかし日本は多くの場合、そうではない。
日本の学歴はいわゆる「学校歴」で、入学時点での偏差値で学歴が決まり、一部の大学・学部を除き、大学の卒業自体はとてもかんたんだ。
経済学を卒業した学生のなかで、マルクス資本主義を説明できるのはいったい何%だろう。英文学部で『ハムレット』を原文で読める学生は? 商学部で財政会計資料を理解できる学生は?
学生がたいして勉強していないと知っているから、企業も「大卒」を条件にするだけで、専攻や成績を求めることはまずない。どうせ、専門知識なんてたいしたことないのだから。
……専門知識をもっている証明にならないのなら、大卒というステータスに、いったいなにを期待しているんだ?
また、みなさんご存知の通り、日本の大学の学費はとてつもなく高い。多くの学生が奨学金という名の借金を抱えており、若者が結婚に消極的な理由のひとつだと言われるほどだ。
奨学金を返済し、なおかつ結婚して子供を育てられるほどの待遇を、企業は用意しているのだろうか? 用意できていないのならば、「大卒」を求める資格はない。
だからわたしは、「大卒」なんて条件、くっだらないなーと思うのだ。
「実務経験」はぼんやりしすぎて判断基準としては弱い
中途採用は主に、未経験可と実務経験必須に分かれる。
……のだが、「実務経験」って、いったいなんだ?
いやもちろん、意味はわかる。
だがジェネラリスト志向の日本における実務経験って、どの程度の広さ、深さを指しているのだろう? そこがよくわからない。
たとえば「銀行」とはいっても、業務は多種多様。
人事畑を歩んできた人もいれば、クレーム処理担当をしている人もいるし、セキュリティチェックする人や国際取引をする人、小さな法人の融資担当やとんでもない金持ちの個人口座の運用を任される人だっている。
そんななかで、「銀行での実務経験必須」と指定したところで、本当に意味があるんだろうか?
一方で、たとえば「ウェブメディア運営経験者」と具体的な業務経験を条件にしたとする。
しかしウェブメディアといっても幅が広く、個人運営で記事の執筆からSEO対策、SNSマーケティングまでひとりでやっている人もいれば、大所帯のなかでライターとのやり取りだけをやっている人もいる。
どちらも「ウェブメディア運営経験者」ではあるが、できること・してきたことは大きく異なる。
だから「実務経験」なんてふわっとした言葉では、「自分たちがやってほしい業務をすでに経験したことがある人」なんて都合のいい人材が集まるわけがないのだ。
さらにいうならば、指定した実務経験があっても、即戦力になるとはかぎらない。
転職後、どのみち新しい企業のやり方に慣れる必要があるからだ。
夫は大学時代から小さめの不動産会社でインターンし、そのまま就職して働いていた。が、先日大きな銀行に転職した。
転職先は銀行だけあってすべてシステム化されているうえ、業務はすべて英語。使っているソフトなどもまるでちがう。業務自体は同じでもやり方がまったくちがうので、「まともな戦力になるのはまだまだ先」らしい。
……ということを踏まえると、「実務経験必須」がどれほど意味のあることなのか、わたしはちょっと疑問だ。
必須にするのならば、どういった経験を求めるかを具体的に書かなければ、ミスマッチの確率が上がるだけじゃないだろうか。
PCや英語の「ビジネススキル」ってなんやねん!
そうそう、「ビジネスレベルのPCスキル」「基本的なWord知識」なんてのもまったくもって理解不能だ。なんだそれ、どんなレベルだ。基本ってどこまでだ。
わたしは表計算ソフトなんてさっぱりわからないが、請求書は指定されたフォーマットをコピペして提出できているし、先日ははじめて自分で表を作ったときも、ググればたいていのことはできた。
そもそも会社で使うようなソフトは、ちょっと説明してもらえればある程度使えるようになるものだ(使えるようにならないのならソフトが悪い)。
どの程度を求めているかが伝わらないような条件なら、書かない方がマシ。仕事でWordを使うと書いていればそれで十分だ。
ああそうだ、英語力にも同じことを思っていた。
ビジネスレベル(TOEIC600点程度)なんてのを見ると、ヘソで茶を沸かしてしまう。600点なんて、MARCH以上の大学を狙う高校生が取れるレベルだ。その程度の英語力で、ビジネスができるわけがない。
中途半端な英語力を求めるのなら、PCに翻訳ソフトでも入れたほうがマシだ。
そもそもTOEICにはwritingとspeakingがなく、日本とアメリカくらいでしか知名度がないテストだし……。
ちなみにドイツの留学時代、友人たちが留学のためにTOEFLを受けていたが、みんな100以上だった。TOEIC換算で900点以上だ。
(書く・話す分野を含め)勉強しなくてもそれくらいできるのが、「現実的にビジネスができる言語力レベル」である。
英語力を見極めたいのなら、面接までのメールのやりとりを英語ですればいい。それである程度は語学力を測れるじゃないか。
え? そんなことができる面接官がいない?
英語力を評価できる人がいないのに応募者に英語力求めて、どうやって能力を判断するつもりなんだよ!
中途半端な募集条件は、「ハロー効果」で判断を誤ることも……
とまぁこんな感じで、納得いかない募集条件についていろいろと書き綴ってきたわけだが、一番怖いのは「ハロー効果」だ。
ハロー効果とは認知バイアスのひとつで、なにかしらの特徴に引っ張られてまちがった評価をしてしまうことだ。
たとえばテレビ番組で、経済評論家が通り魔殺人についてコメントしていたとする。
事件は経済に1ミリも関係ないが、「有名な教授」という特徴に引っ張られて、「なんだかすごく正しいことを言っているように感じる」のがハロー効果だ。
それは逆のベクトルにも働き、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のように、嫌いな人が身に着けている物まで憎しみの対象となることもある。
このハロー効果は、採用活動の大敵だ。
たとえば、東京大学の経営学部を卒業しているから、「この人は将来のリーダー候補だ!」と大きな期待をしてしまったり。
TOEIC900点だから、「この人は海外でもビジネスできる人材だ!」と思い込んでしまったり。
当然のことながら、偏差値が高い大学を卒業している=リーダー適正がある、ではない。TOEIC900点を取っていても、海外でのビジネスマナーに精通し、商談で結果を出せるわけではない。
ただ高校3年生のとき勉強ができた、TOEICでいい点数を取った、というだけである。
でもそのステータスに付随するイメージフィルターを通してその人を見てしまうと、正しい判断が出来なくなってしまうのだ。
そう考えると、中途半端な条件づけにどれほどの意味があるのだろう……と思わないだろうか?
募集条件は「いい人材を見つけるための判断基準」になってこそ意味がある
もちろん、募集に条件をつけるのは当然だ。
しかしその条件は、「業務を任せる上で必要なもの」でなくてはならない。
その募集条件は、本当に必要ですか?
確固たる根拠があってその基準を設けていますか?
それを満たす能力のある人が活躍できる環境、待遇ですか?
他の企業と同じような条件にする必要もなければ、いままでそうだったから今後もそうする必要があるわけでもない。
いい人材を見つけるなら、ちゃんとしたふるいわけになる募集条件を設けること。
その役割を果たさないような募集条件は無意味なので、やめたほうがいいと思う。
- 人材採用・育成 更新日:2024/04/16
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