離職率は「低ければ良い」のか? 曽和利光氏に聞く、人的資本経営時代の採用戦略
人的資本経営という言葉を聞いたことのある方も多いでしょう。
ここ数年ですっかり浸透し、上場企業では有価証券報告書で離職率や研修費などの開示も急速に進みました。
一方で、「指標は出したが、組織は何も変わっていない」という声も少なくありません。
その理由を、多くの企業の人事を見てきた株式会社人材研究所代表・曽和利光さんは、「市場が求める指標と、自社にとって重視すべき指標は必ずしも一致しない。まずは自社にとって何が重要な数字であるのか確認すべき」と言います。
経営戦略・人材戦略・採用戦略の3つを接続し、真の「人的資本経営」を事業の現場で実践するにはどうしたらいいのでしょうか。
詳しくお話を伺います。
\人的資本経営を採用戦略に生かす!人材ポートフォリオ設計ガイドのダウンロードはこちら(会員限定・無料))/
「開示は進んだが、経営は変わっていない」――人的資本経営の現在地
— まず率直なところ、人的資本経営の浸透度をどう見ていますか。
曽和さん: 制度としての浸透は急速に進みました。ただ、多くの企業で「表面的な数字の開示」にとどまっていて、経営の中核に据えられている企業はかなり限られている、というのが正直なところです。
多くの企業は離職率や研修費などの数字、研修の内容などといった情報の開示には対応していますが、「どの人材投資が、どの事業成果につながっているのか」という因果まで説明できているケースは多くありません。
認知や形式対応は進んだけれど、本質的に経営に生かす取り組みはこれから、というのが今の段階だと見ています。
— そもそも、なぜ今これほど人的資本経営が注目されてきているのでしょうか。
曽和さん: もともとの発端は、株主・投資家の側からの要請です。
その背景には、生産施設のような「物的資本」や、特許のような「知的資本」が技術革新などにより平準化していったり、そのような資本を持たないIT企業などの新しい業態が台頭していったり、という近年の複雑な市場環境があります。
つまり、投資家は企業価値を測る新たな物差を求め、実際に働いている人の能力や知識、スキル、モチベーションといった「人的資本」の価値を可視化したいのです。
この流れは、AIや知識労働の比重が増えるほど加速していくでしょう。
実際に市場を見てみれば分かるように、「工場のような生産設備がほとんどなくても、人の力だけで大きな会社になれる」時代になってきています。投資家にとって、人的資本の重要性は増していく一方です。
一般的な指標では業績と結び付かない――「指標選び」が分かれ目
— 多くの企業はISO 30414(※1)や経済産業省のガイドライン(※2)を参考に、離職率や研修時間といった指標を出しています。これで十分ではないのでしょうか。
曽和さん: ここが最初の落とし穴です。ガイドラインに沿って並んでいる指標は、実は業績とストレートに結び付いているとは限りません。
例えば離職率。多くの企業が開示し、また市場も重視する指標ですが、「低ければ低いほど良い」というわけではありません。業種や事業特性によって最適値はまったく違います。
例えば、長年の熟練が必要なメーカーであれば低離職率が「良い」と言える一方、若い感性が事業の核になる業態では、ある程度の流動性があった方がむしろ強いといったこともあります。また、短期間で成果を出せない人は辞めていくのが前提の外資系金融などは、離職率が20〜30%でも業績は伸び続けていたりもします。
離職率という単一指標で企業を横並びに評価することには、実はほとんど意味がありません。
— では、自社にとって本当に意味のある指標は、どう特定すればよいのでしょうか。
曽和さん: 基本は、自社の人的指標と財務指標との相関分析です。複数の人材データを集めて、売り上げや利益との関係を統計的に検証していくのです。シンプルに言えば、それしか方法はありません。
とはいえ、企業の人事データでは「他の条件をそろえて、同じ施策をもう一度試してみる」といった実験はできませんよね。その時々に起きた一回きりの結果を、後から振り返って分析するしかないんです。
そのため、多くの企業は厳密な相関分析を諦めて、「取りあえず出せるものを出す」にとどまっている、というのが実情です。逆に言えば、ここに踏み込めるかどうかが、人的資本経営を本気でやる企業とそうでない企業の分岐点になります。
— ここまでのお話を伺っていると、相関分析や指標選びは本来「開示」のためというより、「組織改善」のために行うべきものだ、ということがよく分かります。
曽和さん: はい、本来的にはそうですね。
しかし、冒頭でもお話ししたように、「開示のために」人的資本経営を表面的に取り入れると、「市場の評価を得られそうな数字を作る」といった、かなり深刻な事態になりかねません。
例えば、株価向上を最終ゴールにした経営者がCFO主導で「離職率を下げろ」と指示すると、人事は制度をいじって無理にでも数字を作りにいくかもしれません。結果、本来であれば組織のために退いてもらうべき人まで引き止めてしまう。
そうすると新陳代謝が止まって、せっかくバランスの取れた生態系だった組織が壊れていくんです。目的と手段が逆転してしまうんですね。
だからこそ、CHRO(最高人事責任者)とCFO(最高財務責任者)が対等に組んで、財務インパクトと組織健全性の両面から共通KPIで議論できる体制が要になります。経営層が投資家ロジックに偏りすぎず、人事側も「開示の事務局」で終わらず、分析の主導権を握る。この両輪がそろって初めて、人的資本経営は組織を動かす経営手法に変わります。
※1 ISO 30414:国際標準化機構(ISO)が2018年に公表した人的資本情報開示の国際ガイドライン。離職率や研修投資、ダイバーシティ、リーダーシップなど、11領域・約58の人的資本指標を定めており、人的資本情報開示に関する事実上のグローバル標準とされている。
参考:https://www.iso.org/standard/30414(英文)
※2 人材版伊藤レポート:経済産業省が一橋大学CFO教育研究センター長・伊藤邦雄氏を座長とする研究会で取りまとめた、経営戦略と人材戦略の連動を主眼とする報告書。2020年9月に「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書(人材版伊藤レポート)」、22年5月に実践事例集と併せて「人材版伊藤レポート2.0」を公表しており、日本企業の人的資本経営を後押しする実務指針として広く参照されている。
参考:https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/index.html
人材ポートフォリオを「設計図」にする――パーソナリティまで踏み込んだ分析と戦略
— なるほど。人事が担うべき役割は大きいですね。では実際に、施策レイヤーで見たとき、人的資本経営の実装は何から手を着けるべきでしょうか。
曽和さん: 人材ポートフォリオの可視化です。これは単なる人員構成ではなく、戦略実現に必要な人材の「設計図」だと捉えてください。
重要なのは、戦略重要度・希少性・育成可能性などの軸で人材を分類し、外部採用・内部育成・再配置・外部活用を組み合わせて動的に運用すること。「採るか育てるか」の二択ではなく、「どこを採り、どこを育て、どこを動かすか」の組み合わせ設計になります。
— いわゆる人員構成の見える化は、すでに行っている企業も多そうです。真に人的資本経営を推進し、組織を前に進めるためには、さらに深い分析が必要ですよね。
曽和さん: そのとおりです。
従来の年齢構成、職種構成、性別構成といった「顕在化された属性」だけでは足りません。重要なのは、パーソナリティ(性格・価値観)やポータブルスキル(職種を超えて使える汎用スキル)といった潜在的な要素まで含めて棚卸しすること。離職、定着、パフォーマンス。どれもこの潜在領域に深く影響を受けています。
タレントマネジメントシステムの中にデータが眠ったままになっている企業も多く、そこを掘り起こすだけでも見える景色は大きく変わります。
— パーソナリティのような定性的なものを、本当にポートフォリオとして扱えるのでしょうか。
曽和さん: 扱えます。パーソナリティの定量化は、適性検査の世界で何十年もかけて積み上げられ、検証され続けてきました。仕事のパフォーマンスと相関するパーソナリティ要素は、すでに実証され、世界中で利用されている信頼性の高い領域なんです。
あとは、それらを組織のデータとして使いこなす人事側のスキル次第です。統計、データ分析、AIなどのスキルが人材投資と財務成績との相関を探す、地道な作業を支えます。
逆に言えば、ここから逃げてしまう企業は、これから取り残されていくかもしれません。
— パーソナリティまで踏み込むと、現場ではどんな改善が起きますか。
曽和さん: 例えば、上司と部下のパーソナリティ相性を分析して配置を組み替えるだけで、特定組織の離職率が大きく下がる、というような事例は日常的に起きています。
また、営業職に「いわゆる営業らしくない」パーソナリティの人が一定数いて、その中にこそハイパフォーマーがいるというケースも珍しくありません。だとすれば、無理にステレオタイプの営業像で採用を続けるよりも、ハイパフォーマー側のパーソナリティ構成を増やしていった方がいいということになりますよね。
しかし、パーソナリティデータまで踏み込んだ人材ポートフォリオがなければ、こうした打ち手はそもそも発想されません。
— そういった打ち手を出すには、「理想の人材ポートフォリオ」の像が必要です。それをどう描けばよいのでしょうか。
曽和さん: 手順としては、まずパーソナリティを複数のパターンに分類し、職種別/管理職・メンバー別に、ハイパフォーマーとローパフォーマーの比率を見ていきます。
傾向が見えてきたら、「この職種では、このパーソナリティの構成比をこのくらいに持っていきたい」という理想像を設計できるようになるはずです。例えば「バックオフィスには10%くらい外向的な性格の人が必要」「営業職には保守的な考えの人が5%くらい必要」といったように、です。
ここまで分かれば、あとは不足している人材を補充する方法を考えるだけですね。配置転換、外部採用、新卒採用、教育研修など、打ち手はさまざまあります。
難しいように聞こえると思いますが、最近はAIで複数パターンをシミュレーションしながら検討していくアプローチも現実的な選択肢になってきました。まずはチャレンジしてみてください。
新卒採用は「文化を変える最重要チャネル」――人事が予算を取り戻すチャンス
— この設計図の中で、採用、特に新卒採用はどう位置付け直されますか。
曽和さん: 採用というのは、人的資本経営の中では「足りない人材を外から補う手段」の一つとして位置付けられます。社内で育てたり、配置を変えたりして埋められる部分はそちらで対応して、外からしか連れてこられない人だけを採る、というのが基本です。だから採用は、育成や配置とセットで設計しないと意味がないんですね。
その上で新卒採用は、単に「採用目標に達する人数を集める」のではなく、「将来、自社の戦略を担う人材を計画的に育てていくための入り口」として捉え直す必要があります。
最近は新卒でも職種ごとに採用したり、入社後のキャリアコースを初めから分けたりする企業が増えていますが、これはまさにその流れの中にある動きと言えます。
— 中途採用との位置付けの違いはどこにありますか。
曽和さん: パーソナリティのポートフォリオを動かすという観点では、新卒の役割が圧倒的に大きいんです。
中途採用では、すでにスキルや経験を確固たるものとして持った人材を採用します。これは即効性の面ではメリットがありますが、会社が求めるパーソナリティに出会うまでには時間もかかります。
一方の新卒採用では、いわば真っ白なキャンバスに描いていくように、組織に適応し、組織に求められるパーソナリティやスキルを育てることができます。
文化というのは結局、性格や価値観の集まりですから、それを意図的に変えていく一番効率の良い手段が新卒採用ということになります。
— 人的資本経営という枠組みで見たとき、新卒採用にはほかにどんなメリットがありますか。
曽和さん: 少なくとも4つあると思います。
1つ目は、長く会社に貢献してもらえること。
新卒で入った人は、ほかのどの採用手法よりも長く、会社に関わり続けるポテンシャルがあります。育成にかけたお金や時間を、じっくり回収してもらえるんですね。人への投資のうち、これほど長期で考えられるチャンスは、新卒以外にはなかなかありません。
2つ目は、組織の文化を少しずつ入れ替えていけること。
すでに長く働いている社員の考え方や行動を変えていくのは、現実にはかなり難しいです。一方で、新卒は毎年一定数入ってくるので、「今年はこういうタイプを多めに採ろう」という工夫を積み重ねるだけで、組織全体の雰囲気や価値観を、時間をかけてうまく入れ替えていけるんです。
3つ目は、社内に「人を育てる力」が蓄積されていくこと。
「即戦力が欲しいから中途で」とばかり言っていると、社内に人を育てるノウハウがいつまでたってもたまらないんですよね。新卒を採り、育て、適した場所に配置するという、この一連のサイクルを回し続けることそのものが、会社にとっての貴重な資産になります。
4つ目は、自社の理念や戦略がそのまま伝わりやすいこと。
中途で入った人は、前職の文化や成功体験を引きずってしまうこともあります。その点、新卒は自社の考え方を、最初の上司や研修からそのまま吸収できる。「うちの人材は、こういう考え方でこう育ててきました」と投資家に堂々と語れるかどうかは、新卒の入り口をどう設計するかに大きく左右されると思います。
— 現場の人事担当者が、明日から動き始めるとしたら、どこから手を着けるべきでしょうか。
曽和さん: 繰り返しになりますが、まずは自社のタレントマネジメントシステムや適性検査結果に眠っているパーソナリティ・行動特性データを掘り起こすことです。
次に、職種別・階層別にハイパフォーマー/ローパフォーマーのパーソナリティ傾向を見比べてみると、「不足しているパーソナリティ群」が見えてきます。
それを埋めるチャネルとして新卒採用と中途採用、配置転換を組み合わせて設計する。この順序で始めてみましょう。いきなり全社的なKPIを設計しようとすると挫折するので、まずは一職種、一部署から少しずつ着手するのがいいと思います。
— 最後に、人事担当者へのメッセージをお願いします。
曽和さん: 率直にいって、いまは人事にとって、自分の仕事の枠を大きく広げられる絶好のチャンスだと思っています。
まず大きいのは、人的資本経営という言葉が広がったことで、人材への投資が経営層にとっての重要課題の一つとして扱われる時代になったということです。
これまで「それが何に結び付くのか」と問われて答えに詰まっていた人事施策が、いまは投資家からも経営からも注目される領域に位置付け直されている。お金や時間を人に投じること自体が、以前よりずっと正当化しやすい環境になりました。
ただし、追い風が吹いているだけで予算が降りてくるわけではありません。
経営や財務に「この投資はちゃんと事業成果につながる」と納得してもらえる説明がないと、結局はCFOや経営企画に押し切られて、表面的な開示作業に追われるだけで終わってしまいます。
そこで効いてくるのが、人事の側に分析と戦略設計の力があるかどうかです。例えば「新卒1人当たり数十万円〜100万円規模の採用コストがかかっている」と聞けば、社長は普通「高い」と感じます。でも、その投資が確実に事業成果として回収できることを相関分析で示せれば、「もっと予算を取れ」という話に変わるんです。
統計やデータ、AIを使って自社固有の因果を語れる人事こそが、これからの予算配分の主導権を握れるようになります。
だからこそ、人的資本経営の流れを「開示作業が増えて大変になった」と受け取るのか、「自分の仕事を経営の中核まで拡張するチャンスが来た」と受け取るのか。ここで人事の立ち位置は大きく分かれていくと思います。ぜひ後者として、この機会にデータで語る力を身に付けて、自分の仕事の枠を広げていってほしいですね。
「開示」を超え、組織を動かす人事へ
曽和さんのお話から見えてきたのは、人的資本経営の本質が「指標を並べること」ではなく、「自社固有の人的データと業績との因果を解き、そこから組織を動かすこと」にある、というシンプルな事実です。ここに分析力をもって踏み込めるかどうかが、人事が「開示作業の担い手」のまま終わるのか、「組織変革の主役」へと立ち位置を変えられるのかの分岐点になります。
中でも新卒採用は、長期的な貢献、文化の更新、育成力の蓄積、理念の浸透という多面的な価値を併せ持つ、人的資本経営の最重要チャネルです。経営にとっては最も時間軸の長い人的投資であり、人事にとっては予算と発言力を取り戻す絶好の機会でもあります。必要以上に身構えず、まずは自社のデータを開いてみるところから始めてみてください。
\人的資本経営を採用戦略に生かす!人材ポートフォリオ設計ガイドのダウンロードはこちら(会員限定・無料))/
●HUMAN CAPITALサポネットについて
採用・育成・組織戦略ご担当者さまの課題に寄り添う、 マイナビの情報メディア「HUMAN CAPITAL サポネット」。
採用戦略や手法の好事例、学生や求職者とのコミュニケーション設計、採用・選考における基本ルールやノウハウ、人材定着と組織生産性向上を視野に入れた研修・育成、現場での事例紹介まで、さまざまな課題やお悩みに寄り添うコラム、セミナー、市場調査データなどをお届けしてまいります。
また、会員登録していただくと採用・育成に役立つ資料や、調査データのダウンロードが可能となりますので、ぜひご登録ください。
- 人材採用・育成 更新日:2026/06/30
-
いま注目のテーマ
-
-
タグ
-